注意と運動学習―動きを変える意識の使い方―
注意と運動学習―動きを変える意識の使い方―
原書名:Attention and Motor Skill Learning
著者
Gabriele Wulf
監訳
福永 哲夫(鹿屋体育大学学長 教授)
訳者
水藤 健(東所沢病院 理学療法士)/沼尾 拓(新座病院 理学療法士)
書籍データ
【発行日】 2010年7月6日刊行
【判型】 B5
【ページ数】 175
【図】 31
【写真】 19
【表】 20
出版に寄せて
大橋 ゆかり
監訳者の序
スポーツや身体運動のパフォーマンスを効率良く獲得したい、獲得させたいという想いは、スポーツ関係者はもとより、リハビリテーション関係者にとっても共通するものであろう。そのためには運動の技術を習得するための効果的な学習方法を身に付ける必要がある。運動の学習においては、意識の集中の仕方や注意の仕方がポイントになる場合が多い。例えば、サッカーを例に挙げれば、意識を集中するところが、ボールを蹴る瞬間の足の甲であったり、ボールの位置や相手プレーヤーのポジションであったり、蹴る瞬間のボールであったりする。また、椅子から立ち上がったり、階段を下りたり、走行や歩行などの日常生活における身体運動では、脚や腕の動きであったり、歩くときの地面や階段の床からの感触であったりする。
本書では、これらの身体運動を学習する際の様々な観点について、効率的な運動習得のための“注意の向け方”に関して論じたものである。全編をとおして著者であるNevada大学運動学教授のGabriele Wulf女史自身の研究を中心としてわかりやすく説明している。
本書の主な内容は
1)運動学習効果に注意の向け方が多大な影響を及ぼす、
2)身体外部への注意(エクスターナルフォーカス)の方が身体への注意(インターナルフォーカス)よりも学習効果が長期間保持され、かつその効果は異なる運動にも転移しやすい、
3)身体外部への注意の利点は、ゴルフ・テニス等の球技スポーツに留まらず、体操、ダンス、ダイビング等の身体運動、自転車に乗る、立つ、歩く、物をつかむ、言葉を話す等の日常生活の中での動作にも適用される。
原文を読んでみて、上記内容を主軸にエクスターナルフォーカスの実践的な活用方法を多数紹介している点で、非常に斬新かつ革新的な内容であるとの感想を得た。
本書で述べられている内容に関しては今後よりいっそうの議論と検証が必要ではあるが、運動を効率的に習得する、習得させることに興味のある様々な領域の人たちにもぜひ読んでもらいたいと考える。リハビリテーション界においても、これからは運動学習という観点から機能回復を考えていくということも有用であろう。本書は、専門的な研究を紹介していく内容でありながら、運動学習理論にはじめて触れる読者にもわかりやすいよう基本的な事項の説明もされており、大変読みやすい構成となっている。運動学習について勉強を始める際の最初の一冊としても推薦するものである。
本書の主張には、検証が不十分なものや、研究が足りない部分もあるが、それらは章末にまとめられており、研究者にとっても有意義な情報を得られるものと思われる。
監訳者
鹿屋体育大学教授 学長
福永 哲夫
訳者まえがき
訳者らは、理学療法士として病院に勤務しており、身体麻痺などの疾患を抱えた患者様が日常生活を再び行えるよう、身体的なリハビリテーションを指導している。
患者様が再び自分の力で立ち上がり、歩けるよう、一緒に練習を行っているが、多くの場合練習直後は程度の差こそあれ上手くできるようになる。しかしその効果が持続しない場合がある。翌日になると元に戻ってしまう。つまり、『運動学習』の壁に当たってしまうことがある。どうすれば患者様の運動学習を効率的かつ効果的に進めることができるか?理学療法士であれば、誰しも一度はこの問いを脳裏に浮かべたことがあるであろう。実際、スポーツ科学やスポーツ心理学分野で発展した運動学習理論を理学療法に応用する動きが、近年盛んになってきており、臨床にその理論を取り入れている理学療法士も多くなってきている。
一方、脳科学の研究は日進月歩で進んでおり、人間の運動機能に関しても、知覚や認知機能と密接に関連しており、切っても切り離せないものであるとの認識が、リハビリ業界においても広まりつつある。すなわち、リハビリにて運動の練習を行う際、患者様の知覚や認知機能の働き方や、患者様の意識の状態や注意の向け先を考えながら行う理学療法士が増えてきている。簡単に言うと、運動の練習を行う際、『患者様の注意を何に向けてもらうか』が重要となってきているのだ。
本書は、この2つの近年重要なトピック、『運動学習』と『注意の向け方』について、最新の実験結果を基に革新的な事実・・・エクスターナル・フォーカスの恐るべき効果・・を提示するものである。本書を既にお読みになった読者は、エクスターナル・フォーカスの有用性に驚かれたことと思う。さらに、本書に述べられていることに加えて、エクスターナル・フォーカスは、運動を指導する者であれば誰でも、新人でも素人でも明日からすぐ実行できるのだ。エクスターナル・フォーカスの最も優れた点は、その簡便性にあると訳者は考えている。
本書は、訳者が運動学習に関する文献を調べている際に偶然発見し、注意と運動学習への関心を広め、その内容を世に問いたいとの思いで、福永教授の賛同を得て出版に至った。
出版にあたって、田中美吏氏、清水裕貴氏、望月秀樹氏、岡部岳志氏、大平智也氏には原稿のチェックにご尽力をいただいた。
人とのつながり無くしては、何事も上手く成せないと実感し、ここに感謝の意を述べる次第である。
東所沢病院 理学療法士 水藤 健
新座病院 理学療法士 沼尾 拓
著者序文
注意の向け方によって、運動のパフォーマンスに重大な影響を与えることが可能である。あるスキルを行っているときに何に注意を向けるかによって、どれだけ滑らかに動けるか、どれだけ一貫した動きができるか、どれだけ正確に出力できるか、そして一般的にはどれだけ上手に遂行できるかが決まる。例えば、自分の動きに“注意を向けすぎた”場合、特にそのスキルが良く練習されたものであるほど、運動が阻害されてしまうことは昔から良く知られている。キーボードで文字を打つような単純作業のとき、ただ単に見られているだけで私たちはたいてい自分の運動に注意を向けてしまう。正しいキーを叩き、タイプミスを無くそうとすることに注意を向けてしまうため、いつも以上にタイプミスをしてしまう。
その理由は何だろうか?自分自身が行っていることに注意を向けると、通常は行えている滑らかな運動ができなくなり、通常しないようなミスをするのは何故だろうか?アスリートや音楽家で、“あがった”経験が無いものはいないだろう。それは、特に一生懸命練習した人ほど顕著である。自分の運動を意識的に協調させるよう注意を向けたときほど、パフォーマンスの低下がよく発生する。
既に獲得されたスキルを行う際だけでなく、新しい運動スキルを学習する際にも、直接身体の運動を協調させることに注意を向けると同様な事象が発生するとの新しい研究結果が出ている。この事実は、多くの科学者やコーチ、そして理学療法士などを含むほとんどの人たちが従来考えてきたこととは対照的である。従来の考え方によれば人は自分自身の運動を意識的に制御する学習段階を通る必要があるが、もし意識的な制御が有害なのであれば、次の疑問が生じる。身体の運動の協調に意識的に注意を向けなくても、新しいスキルを学習することができるのか?何らかの形で最初の“意識的”学習段階を飛び越えて進めるのか?もしくは少なくともその段階を短くし、学習過程を促進する方法があるのか?
これらが、本書の論点である。本書は、特に運動学習段階において、人の注意の向け方がどのように運動の遂行に影響を与えているかを探求している。ここ数年、運動を行う際や運動を学習する際の注意の向け方による効果の違いを検証すること、そしてそのメカニズムを理解することについてかなりの研究が行われてきた。本書の目的は、そのような研究の結果から得られる知識を統合することであるが、注意と運動の遂行を完全に説明している訳ではなく、特に運動の遂行や運動学習への注意の向け方の影響に関する研究結果に基づいて書かれたものである。
対象となる読者
本書は人間の運動制御や運動学習に興味のある人であれば誰にとっても有用であろう。
本書は、運動学、心理学、スポーツ科学、体育学、理学療法、作業療法の学生、またそれらの分野や関連分野で働いている臨床家を対象にしている。そして読者は、注意の向け方がなぜ、どのようにして運動スキルの学習(もしくは再学習)に影響を与えるかとの疑問に対して、より理解することができるだろう。この本で論じる研究結果は、我々の運動の遂行に対する注意の役割に関する理解を深めると共に、実用的に重要なヒントも含まれている。それらの研究結果は、学習者の注意を導くことにより運動学習を向上する単純だが強力な方法を提案しており、実際の運動スキルの効果的で効率的な練習場面にも関連している。
構成
本書は最初に、初心者から熟練者に至る学習段階の経過のなかで、注意をどこに向けさせるべきかに関する伝統的な考えや、より最近の考えについて概説する(第1章)。運動スキル練習中の初心者の注意を何に向けさせるかについては、以下のように考え方が異なっている。多くの人が、初心者は自分の運動の協調に注意を向ける(注意の“インターナルフォーカス”として知られている)必要があると信じている一方で、最近の研究結果はこのような注意の向け方は、実際には学習過程を阻害する可能性があることを示唆している。
第2章では、インターナルフォーカスによるパフォーマンスの低下の問題に対する解決策を紹介する。この章では、(いわゆるエクスターナルフォーカスを生じさせる)道具などのような、運動の“環境”に及ぼす効果への注意の指示により学習過程が促進されることが示されている。第3章では、もう1つの重要な学習変数である学習者に与えるフィードバックを扱い、フィードバックによって導かれた注意が学習にどのように影響を与えるかを示している。この章で論じる研究結果は、実際の現場において重要な意味を持つだけでなく、フィードバックに関する現在の理論的な考え方を変えるようなものである。
知識のある読者であれば、注意の“働き”を知るだけでなく、どのように、そしてなぜ働くかを知りたいと思うだろう。第4章では、インターナルフォーカスとエクスターナルフォーカスの効果に差異が生じる理由を考察する。それぞれの注意の向け方について神経生理学と心理学との関連を述べ、エクスターナルフォーカスを使用する利点を説明する。エクスターナルフォーカスの利点は、多様な人の多様なスキルにまで及ぶ。
第5章では、個々の技能レベルによって最適な注意の向け方が変わるかどうか、またどう変わるかに焦点を当てている。この点に対する研究は少ないが、最適なパフォーマンスを得るためには、経験を積むにつれて注意の向け方を変えるほうが良いことが示唆されている。この章では、どのように、そしてなぜ最適な注意の向け方が変化するのかについても考察する。
第6章では、姿勢制御付加活動(supraposutural activities)(例えば不安定なところでのジャグリング)について焦点を当てている。この姿勢制御付加課題と呼ばれる課題への注意は、その課題のパフォーマンスに影響を与えるだけでなく、間接的に姿勢制御にも影響を与えるという点で特に興味深いものである。
第7章では、子どもや老人、パーキンソン病などの障害者のような特別な背景を有する人のパフォーマンスに対しての注意の向け方の影響に関する研究結果を概説している。
特集欄
各章は、運動学習の問題やそれを解決する注意方略の役割についての短い体験談や状況を記述したオープニングシナリオで始まる。このオープニングシナリオは、その章のコンセプトを実際の状況に即して表現したものである。また、特定の運動スキル実行中の思考過程について考察する注意の考察という項も各章に設けている。
各章の終わりに設けた実践への応用の項には、研究結果の応用を促進するため、様々なスポーツやリハビリテーションでの例が記載されている。この項には、研究結果を関連する課題に応用する話題や、討論形式の質問が示してある。これらの質問の多くは自由回答方式であり、活発な討論を促すものである。
現象を説明するエビデンスが不十分であったり、調査研究が希少または全く無い領域も存在する。各章の最後の将来の方向性の項では、現在未解決の問題を取り上げている。
10年間のインターナル&エクスターナルフォーカスの研究により、興味深い結果がいくつか発見されている。間違いなく言えるのは、どれだけ上手に運動を遂行して学習できるかは、大部分が何に注意を向けるかに依存しているということである。注意を運動の結果に向けることは、身体の運動の協調に向けるのに比べ、概してより良い結果をもたらす。運動の結果への注意は、パフォーマンスにほぼ即時的に影響することが多いが、より重要なことは、運動スキルの練習中に使用する注意の向け方が学習過程全体に影響することである。すなわち、エクスターナルフォーカスを使用した場合、インターナルフォーカスよりも高いレベルの能力を早く修得できるだけでなく、それによって得たスキルはより長期間保持される。つまり一定の保持期間後にも、注意の向け方への指示がない場合や、ときには練習と同様な注意の向け方が使用できない場合でさえ、良いパフォーマンスが見られる。更にエクスターナルフォーカスの利点は、広く様々なタイプのスキルや様々なスキル水準、そして若者に加えて子ども、老人、身体障害を持つ者にも般化できる。また我々は、注意の向け方がどのように自分のパフォーマンスに影響するか、良く理解している。既に述べたように、エクスターナルフォーカスの使用はインターナルフォーカスよりも良好な運動制御の自動性を得られるとの良いエビデンスも存在している。
読者が、コーチ、インストラクター、プロまたはアマチュアのアスリート、ダンサー、音楽家、音楽の教師、理学療法士、作業療法士、身体障害を持った人、もしくは新たなスポーツの修得中の人であるかどうかに関係なく、本書があなたのパフォーマンスを改善する、もしくは少なくとも体を動かすことがより楽しくなるための助けになればと思う。そして、運動システムの自動制御能力に関する正しい理解が進むことを望む。もし、我々が自分の運動システムを信頼してその仕事をさせれば、統制しようとしてその働きを妨害するよりも、ずっと上手く仕事を行うだろう。
注意の向け方によるパフォーマンスへの影響について、私以上に興味を持っていただけるとうれしく思う。